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グリーフケア

私は、自らのクリニックが休診日である木曜日には、開業前にお世話になっていた在宅クリニックさんで訪問診療をさせていただいております。(というより、普段学べない多くの事を学ばせてもらってます。)訪問診療は24時間365日患者さんからの要請があれば、ご自宅に訪問し、処置をしたりお看取りをしたりします。週1回の頻度ですと、以前までオンコールを担当していたころと比べれば、最近はお看取りに立ち会う機会も激減してきております。今回は誤嚥性肺炎から心不全の急性増悪を来たし、ご自宅では対応しきれず、救急搬送されて亡くなられた患者さんの介護者である奥様へのグリーフケアで弔問して参りました。
グリーフケア(grief care)とは、griefは日本語で悲嘆(悲しみになげくこと)を意味し、近親者との死別などでさまざまな愛情や依存の対象を喪失した際に生じる複雑で深刻な心の反応に対し、寄り添い、サポートする取り組みとされております。
患者さんは80歳台の男性で、心原性の脳梗塞から寝たきりの状態となり、それまで経口摂取ができていたのが、誤嚥を繰り返すようになり、胃瘻からの栄養管理に移行されました。抗生剤を投与して一時は改善するものの、嚥下評価や嚥下訓練を行って少量経口摂取が始まると、また誤嚥して発熱を繰り返している状態でした。それでも奥様は、またもとのようにお父さんが好きなものを口から食べてほしいと懸命に介護しておりました。結構わがままな典型的な昭和の男といった患者さんでしたが、奥さんはいつもハイハイとすべてを受け入れては、我々に対して、”お父さんの介護をすることが私の生きがいなんです、なんとかよろしくお願いします”と訪問のたびに頭を下げられておりました。そんな状況が数か月続き、誤嚥性肺炎だけでなく、途中コロナ感染も発症したりと安定した状態はほとんどなかったと言ってもいいくらいの日々でした。と、ある木曜日に奥様から往診のコールがありご自宅に伺いました。抗生剤を2週間使用しても発熱と解熱を繰り返し、さらには呼吸状態も悪化して酸素投与下においてもSpO280%台を推移するようなり、肺野の聴診上でも呼吸音が減弱している無気肺や、気管支や肺胞の雑音が聴取されるなど、かなり悪い状況となっており、ご自宅での介護は厳しいと判断し、4つの病院に断られた挙句、救急搬送となりその数日後に亡くなられました。在宅医療の限界を迎え、最期は病院でのお看取りとなり、奥様の生きがいを失ってしまう形となってしまいました。
残念な結果となってしまい、奥様は現実を受け入れられるまでに相当な時間がかかるであろうと心配しておりました。
救急搬送して、ご自宅からお見送りをしてから数週間後、在宅クリニックに奥様から1本の電話がかかってきたようで、話をしたいから線香を挙げに来てほしいとのこと。前医から途中担当が代わった私でしたが、後半はずっと担当していたため、私と相談員さんとでご自宅にお邪魔することとなりました。今までは、ご自宅で亡くなられてお看取りをした方には何度か花束を持ってグリーフケアのために訪問したことがありましたが、今回は先方からの呼び出しで、しかも御自宅でのお看取りではなく、救急搬送先での最期を迎えられたケースであったため、ちょっと不吉な予感がしてしまいました。まさか、数年前に起こったある事件と似ていない?かなと。でも実際は全くそんなことはなく、ご自宅に訪問すると、奥様が頭を下げて、”先生達、待ってましたよ、もう会えないかと思ってさみしかったのよ、さあどうぞお上がりください”とお父さんの遺影まで招かれました。”最期は残念な形とはなりましたが、色々とありがとうございました、本当にお世話になりました”、と感謝の言葉を我々に述べてくださいました。その後は、お父さんが多趣味であったこと、娘たちと旅行するのが大好きであったこと、夫婦でカラオケが好きで、スナックを経営したいと土地まで購入した話など、若かりし頃の写真を見せていただきながら、色々とお話しを聞かせていただきました。始めは涙ながらに言葉を詰まらせながら話されていましたが、後半からは少しずつ言葉に力がこもってきて、今後は奥様自身が、やりたいことを再開して、人生を謳歌したいと前向きな気持ちを聞けたので、ほっとしました。
我々が行ったグリーフケアは奥様のお話に対し、傾聴と共感をし、短い時間を共有したに過ぎませんが、それでも少しでも奥様が気持ちを立て直すことができるきっかけとなっていただけたなら、幸いです。お父さんの分まで、残された人生を充実して生きて行ってほしいと願っております。


患者さん宅に咲いていた梅の花です。
訪問診療中には、普段の診療では垣間見ることのできない日常を経験でき、また、ふと何気なく咲いている草花に目をやったり、青空を見上げたりできるちょっとした心の安らぐ時間を授かります。